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コミッショナー

「競争時代」とプロ野球の在り方 根來 泰周

(2005年12月16日 日本記者クラブ昼食会でのスピーチ)

 本日は、プロ野球組織の現状と問題点、さらにようやく緒についたと思われ野球協約改正問題に焦点を当ててお話申しあげたいと思います。 こちら(日本記者クラブ)からのご要請によれば「この1年の総括とプロ野球をより魅力的にする方策」ということでしたが、1年間なにをしたか、ということはすでにご存じですし、その評価は、立場によって異なりますから、私が申しあげるのもおこがましいことと思います。 また、どうすれば魅力的にできるか、という点は各球団、選手がいろいろ考えているところで、そんなに目を剥くような妙案はあるはずがないし、特に昨年この世界に足を踏み入れた私に妙案があろうはずがありませんので、これも正面から取り上げることについては、パスしたいと思います。

親企業の業績と社会の変化

 今から70年ほど前にプロ野球が発足し、戦前、戦後の苦境を乗り越えて今日の隆盛に至ったのでありますが、プロ野球運営は、当初から企業がバックにありましたから、その運営は商業主義が優先されているなどと、いろいろ批判する向きがないわけではありません。 しかし、この70年間にプロ野球の親企業が物心ともにプロ野球球団の維持、野球の発展に力を注がれてきたことは間違いのないことであり、大きな功績があったと思います。 企業もプロ野球球団を持つことによって、いわゆる企業宣伝の効果を挙げ、企業の運営にプラスになったことも事実でしょうが、その間経済的には大きな出損をしてきたこともまた事実で、その功績を率直に認めなければなりません。 ただ長い年月を経過したおりますから、積もり積もった垢のようなものもあることに否定できません。常に新鮮を求めるプロ野球ファンにとりましては「物足りぬ」思いを持つこともありましょう。 選手側も有力選手は大リーグに対する志向を深めており、スーパースターを欠くという状況にあります。

 一方、球界を取り巻く一般社会は、ほんとうに疾風怒濤というような勢いで変化しております。 閉鎖社会、協調社会から競争社会へと変質し、国際的、自由競争時代へと大きく転換し、また価値観が多様化し、特に、世代間、旧来企業と新興企業との間の価値観も大きく相違して参りました。 そして当然のことながら、この一般社会の風がプロ野球界に吹き込んでおります。 プロ野球社会は、歴史と伝統を持つ古い社会ですから、なかなかこれに適切に対応することは難しい、小回りが利かないところがあることも否定できません。 正に「風にそよぐ葦」という感じを持つことも否めません。 またプロ野球球界としましても独自の論理があります。 この論理が一般社会でどこまで通用するか、充分な検討を要します。

 いま、プロ野球界もそのよいところを伸ばし、悪いところを矯正するという基本的立場に立ち、一般社会の動向も敏感に把握して着実な改革を考えるべきであろうと思います。 単なる思い付き、破壊主義、悲観主義、あるいは抽象的改革論議は、排除すべきです。

「道を極める」から「楽しむ」へ

 プロ野球を支えてきたのは、プロ野球球団であり、またその親会社であるという自負心、野球界独特の論理が、ある意味では、プロ野球をして現代社会の変化等に適応し難くしているというところもあると思いますが、このところを乗り越え、新時代に相応しいプロ野球を構築すべきことは申すまでもありません。

 プロ野球についての考え方も大きく変わって参りました。わが国における野球は、学生野球を発祥としております。したがって「武士道」に似た「精神主義」が主流でありました。 「道を極めるスポーツ」でありましたからグラウンドで汗を流し、ファイン・プレイを見せれば観衆が納得するという考え方であったのです。 しかしサッカーの台頭する時代になり、そのような時代は終わり、エンターテイメントというか、観衆におもしろく野球を見せる、選手も球団もファンと一体となって野球を楽しむという雰囲気の醸成に努めるという方向に移って参りました。 象徴的なのは、今年(2005年)のロッテのバレンタイン監督をはじめとする各球団の顕著な変わり方やその動きです。 余談ですが、選手が「赤毛に染めている」「ピアスを付けている」ということなども古い私たちからすれば、批判の種かもしれませんが、案外若いファンに同調している行動かも知れません。 ファン・サービスというのが正にこれです。

プロ野球の社会貢献

 それに応じてプロ野球球団を保有する理念について考えなければなりません。 それは、単に、親会社の企業宣伝、企業の便益のためにあるという考え方を修正しなければならない時代を迎えました。 プロ野球は永続的に責任ある体制のもとに維持していくためには、企業のためにある、それによって企業の応援を得るということも重要なですが、現今の企業に対する期待として、それには止まらずと申しますか、それ以上に、プロ野球がファンに感動と興奮を与え、ひいては青少年の育成、善導等にまで力を貸すというような社会的活動を行うことだと思います。 地域密着ということも言われていますが、これも社会貢献の一つでしょう。監督、選手もこれを自覚されるようになってきたと思います。 例えば、毎年、新聞社の主催で「ゴールデン・スピリット賞」という名称で、社会貢献が顕著な監督、選手を表彰していただいておりますところ、表彰対象のみならず、密かにというか、社会に喧伝されずに、多くの選手がいろいろな形で、個人的に社会貢献をされていると承ったことがあります。 「地球温暖化防止」などに企業が努力されておりますが、同じようなスタンスで野球、スポーツに尽力願いたいと思っています。

 そこでこのような時代の流れにどのように対応すべきか、ということです。 このことは、第一義的には、親会社、球団、選手間で充分議論していただき、その結果を出し、実行すべきものです。

理念とビジネスの両立

 特に、プロ野球球団運営の理念です。 前に申しましたように、社会貢献、社会奉仕ということに力点を置くか、あるいはスポーツ・ビジネスということを重視するかです。 それによって制度の仕組みも変わって参りますが、差し当たり、両にらみ、両立でお願いするということだろうと思います。

LooseからTightへ

 二つめは、このような時代の転換期に当たって現在のプロ野球組織の在り方がそのまま是認すべきかどうかということです。 社会の激変に応じて改革を考え、また考えたことを組織内で取りまとめ、早急に実践していく、そしてその立場を強烈に外部に向かって発信するためには、プロ野球が現在の「Looseな組織」から「Tightな組織」への転換ということが是非必要ではないか、ということです。 「プロ野球の運営は私たち球団が担当します、私たちに任せなさい、野球組織は、球団間の調整のみで結構」という考え方があり、従来はそのような考え方で運営されてきたと思います。

 いつも言うことですが、昭和24年末にプロ野球の1リーグ制が2リーグ制に分裂し、両連盟の所属球団間の泥仕合が展開されるようになりました。 そこでその収拾策として両リーグがプロ野球組織を結成し、野球協約が締結されたというのがそもそもの始まりです。 プロ野球の運営は、球団と連盟が行い、野球組織は、「連絡会議」であり、「協約違反の裁定・審判・制裁機関」という位置付けであったのです。 かろうじて「日本選手権試合」と「オールスター試合」は、野球組織が管理するということでした。 昭和46年に野球協約が全面的に改正されましたが、基本は何も変わっておりません。

コミッショナーは孤独・・・

 コミッショナーの職分についても同様で、基本的には「司法・審判」担当で、規定上は、組織の代表とされていますが、根無し草のようなところがあります。 違反行為の調査や処分にしてもコミッショナーを支える手足的な組織を欠き、ある意味で全知全能の扱いである反面、「孤独」の一語に尽きます。 いろいろのことが起こり、外部から意見を求められても「個人的見解ですが」と前置きして述べるしかない。 特に昨今のような外部の社会、経済に関連したことなど、相談したり、意見を聴いたりする仕組みが全くないということです。

 繰り返しますが、時代が大きく変わりました。政治、経済、社会は、規制緩和、規制改革そして自由競争の時代となり、協調社会から競争社会に変質して参りました。 世代間、旧来企業と新興企業との価値観の相違も顕著です。 そして自分達の論理ややり方を国民大衆に向かって迅速に正しく発表し、その理解を得るということが肝要とされるようになりました。 政治家は「国民」を、スポーツ評論家は「ファン」を全面的に押し出してものを申します。 そのような時代を迎えて今までの「Looseな」「球団任せ」の野球組織でよいのだろうか、野球組織を束ね、その立場を責任を持って主張し、論駁するということが欠くべからざることだと思うのです。

 また球団や選手だけでは解決できないことも起こっています。 野球組織が一丸となって取り組むべきことが生起しています。 暴力的傾向のある私設応援団の排除、国際試合、さらにはプロ野球がその独自性から対外的に主張すべきことなどが中央集権的に解決すべき問題です。

非能率な「3局体制」

 実行委員会は、最近では月に一度は開催されておりますが、オーナー会議の方は、年に数度という有様です。 そしてここで決まったことは、両会議の庶務、事務を担当するコミッショナー事務局長以下の20人足らずの職員が担当していますが、采配を振るう者はいないのです。 オーナー会議、実行委員会の議長と申しても議事を整理するだけで両会議を代表する者ではありません。 会議で決まったことを事務局が執行しますが、その執行ぶりをこの会議を代表して指揮、監督するという制度を欠いております。 2リーグを前提にしても、コミッショナー事務局、両連盟事務局というような3局体制が非能率というところもありましょう。 3局の意思疎通も充分でなく人事管理もバラバラです。 コミッショナー事務局も命令系統が3筋に分かれています。 コミッショナー、実行委員会、オーナー会議という3頭です。 2リーグの交流試合も行われながら、審判員、記録員は連盟会長との契約で任命されており、その辺も不透明です。

コミッショナーは「司法」から「行政」へ

 そのようなことから、有識者会議は、コミッショナーが「司法」から「行政」にポジションを移し、会議の議長になって会議の総括者となるとともに、そこで決定されたことを執行する責任者とすべきではないか、という提言をされました。 また事務局の統合にも触れられております。

 私は、コミッショナーの職分を純粋に「司法」に徹し、オーナー会議等に行政を担当する責任者を置く、というのはどうかという意見も持っていましたが、有識者会議の圧倒的な考え方は、以上のとおりでした。

 昨年からの各般の問題の対応についての反省に立てば、どのような仕組みにするかは別として、野球組織をもっと「Tightな組織」「責任体制の確立した組織」に転換する必要があるという思いを強くしておりましたから、大変結構な提言だと思いました。

 オーナー会議などの運営も全会一致で行われて参りました。 しかし昨今は、球団、オーナーの議論が白熱化することもあります。 オーナー会議の議長は、オーナーの持ち回りです。 議長たるオーナーも意見がありましょう。 しかし議長なるが故に充分な発言ができないという苛立ちもありましょう。 その一方、他のオーナーは、議長としての発言なのか、オーナーとしての意見なのか、見極めが難しい場面もあると思います。 そういうことからも議長をコミッショナーにするというのも一つの考えだと思います。

野球協約の改正を

 それには、現行の野球協約を全面的に改正する必要があるということです。

 ただ若干気掛かりなこともあります。 肝心の球団関係者が「心から」私と同じような認識に立たれているかどうかという心配です。 その一つは、今の協約でもやれるではないか、協約を踏み越えてでも必要なことはどんどんやればよい、というご意見です。 先に申しあげたとおり、各球団、各親会社さらにはその責任者の考え方がそれぞれ大きく相違してきておりますから「何が必要か」「何をやるべきか、やらざるべきか」という点について見解が分かれましょう。 ですから従来のように大括弧で括られるような意見の集約が難しくなってきたという現実です。 世論とか球団の総意というのが見極め切れない時代です。 ルールを踏み越えてでも、どんどんやればよい、というご意見は、自分に有利な方向については是認していただけると思いますが、これに反する場合、「協約上の根拠は?」と反問されるに相違ありません。 そのような場合の意見調整弁のような役割を協約が担っているのです。

コミッショナーが独裁に!?

 もう一つは、例えば、コミッショナーに権限を与えたとき、「独裁」に走るのではないか、という懸念でしょう。 これまでの野球協約の部分的改正のあとを見ればそのようにとれるところもあります。 会社を例にとれば、取締役は株主総会で選任され、代表取締役は取締役会で選ばれる、会社の業務執行は取締役会で決定され、その方針に基づいて代表取締役が業務を執行する。 その執行状況を取締役会が監督する、ということになっているのです。 コミッショナーに権限を与えるとしてもそのような方策を採れば、独裁などという懸念を生じる余地がないのです。 むしろ先に述べた立場に立てば、コミッショナーに「管理統制」というような抽象的な言い回しの武器を与えているから、素人考えで濫用すると、それこそ独裁になってしまいます。 意思決定は勝手にやれる、業務執行についての監督機関がない、身分保障も与えているから身分上の制約によるチェックもできない、ということになります。

 加えて私の個人の立場を申せば、40数年にわたり、他人に法律、規則等を守れ、と要請する立場にありました。 ここで協約を踏み越えて仕事をするというのは、自分のこれまでの生涯を否定せよというに等しく絶対にできないことです。

 昨年(2004年)の球団統合に際して、私が万事消極的だ、もっと指導力を発揮しろというご意見もありましたが、統合などは、現行法上認められたことであり、責任ある立場の者が声高にこれに反対をとなえることができません。 言うだけだと思いつつ「統合反対」などとぶちあげれば、いわゆる世論受けしたかも知れませんが、そのような節操を欠くことは信念としてできません。 1リーグ制などは、議論としてあったことは事実ですが、海のものとも山のものとも分からない状況であり、もし実行するなら片づけなければならない事項が山ほどありましたから、早急にできるとは誰もが思っていなかったでしょう。

 昨年2月にコミッショナーに就任して以来、具体的な問題に触れ、野球協約の問題点、改善点について感じ、考えたことを申しあげます。

 野球協約第11条は、当事者間に協約の規定について解釈上疑義が生じた場合には、コミッショナーが最終判断する、と定めておりますが、協約を見る限り、解釈上判断に苦しむ規定も多く、規定が相矛盾する点も少なくないということから、もし紛争が生じた場合には、切れ味鋭い解釈を示すことができないと思いましたから、協約改正の必要性を申しあげました。 コミッショナーの「管理統制」ということについてもどういう手段で、どういう内容の管理、統制をするのか、その受け手に、それを受ける義務規定が定められているのか、ということもはっきりしません。

マアマアでは通らない

 選手は、統一契約書で「コミッショナーと連盟会長の指令等に従う」とされておりますが、監督、コーチ、球団職員、審判員、記録員などはどうなっているのか不明です。 親会社も協約当事者ではありませんが、親会社に義務を課しているところもあります。 公益法人たる社団法人日本野球機構との関係も明確ではありません。 これまでは、オーナーという親会社の実力者がオーナー会議のメンバーとして野球組織の運営に関係しておりましたから、親会社も事実上野球協約を遵守し、オーナー会議の決定に従う、という状況にあったと思います。 しかし今は、そのようなマアマアでは通りません。法的に親会社が野球協約の傘の下に入り、いろいろの決定を了承していなければ、オーナーが関与していても親会社に効力が及ばないと主張することもありましょう。

 国際試合も同様です。 これは球団、選手の同意を得なければできません。 外国から国際試合の申し出があってそれを私が形式的代表者として受け取るとしても球団に丸投げです。 自分も球団と一緒になって検討するという制度ではないのです。

 昨年、近鉄球団とオリックス球団との統合がなされましたが、その過程で世論も沸き立ち、選手会もストを行って大いに混乱しました。 この際に、選手会と向かい合ったのは、実行委員会から選ばれた球団代表です。 またライブドア、楽天の新規加入についても審査をしたのは球団の代表です。 私は、楽天が加入してもすぐには、戦力が整わない、楽天に1年ぐらいの仮免許のような資格を付与して、その間練習試合の機会を与え、また他の球団が協力して選手を出す、というようなことはどうか、とも側面から申しましたが、球団側、選手会側ともに見向きもしない状況でした。 このときの経験から実質的に野球組織を代表する者を置かなければ、責任を持ってこちらの立場を主張できないし、相手方も誰を相手に交渉したらよいのか、戸惑い、事態の混乱を招くだけだと思いました。

野球組織のコアが必要

 球団の統合も言い出してすぐに実行するのも問題があります。 当事者の間で充分に作戦を練り、他の球団の協力も得てやらないと、ギクシャクするところが出てきます。 近鉄球団、オリックス球団の場合は、検討以前にマスコミに報道されたというのが致命的であったと思います。 報道されたとき、統合のやり方も決まっていない、選手の処遇も分からない、という「分からない」ずくめの状況下で、いろいろの意見に的確な反論もできないということでありましたが、それでは野球組織の中でこの話を取り纏めて全体がうまくいくように「コア」になってやる者もいないという状況でした。 そして当然のことながら親会社がやっていることで、球団の者に聞いても経過が分からない、という状況です。

 私も相談に与っていたことは全くない。 報道の直近、直後に聞いたぐらいです。他の球団の方々も同様でしょう。 1リーグの話も同様で、オーナー会議で初めて持ち出されたことです。

 これからは、外部の経済情勢に応じてこのようなことは起こる可能性がある。 そういう場合には、誰かが中心になって「はかりごと」を巡らし、汗をかいて適切な対応をしなければならない。 そして「こと」が顕在化したときには、外部に対して組織を代表して発信する、また選手会等に対しても責任をもって対応するという中央集権的な責任体制の整った組織を作らなければならないと実感したことでした。

 それに物事が起こったときの筋道が明確でない。 統合問題は、まず連盟で処理することなのに生煮えで、実行委員会、オーナー会議に持ち出されるということも理解できぬことでした。 いろいろの規約を読んでもその辺りが不明確です。

池永投手の問題

 昭和45年に、池永投手がプロ野球球界から「追放」されました。 その直後からこの処分を解除してもらいたいという陳情が繰り返し行なわれてまいったようなのですが、その効果は全くなかったのです。 ところで昨年のオーナー会議で、オーナーから「追放を解除する根拠を設けるべきである」という意見が出され、その線に沿った協約の改正がなされ、それに基づいて池永氏の処分の解除ができたのです。 これとても協約改正がもっと早く行なわれておれば、陳情の趣旨が実現できたと思います。 加えて申せば、池永氏の処分記録を読み、検討しましたが、いろいろ疑問点を多く感じました。 大きな問題は、処分直後に協約の大改正がなされているのに、それに経過規定が設けられていないのです。 そのような事実に鑑みても野球協約は、そんなに重視されていなかったのではないかと思います。

 これから協調社会から競争社会へ変質していくのですから、競争のルールを確定することがなによりも必要なのです。 さらに申せば、野球界は、その社会的責任を自覚し、それを乗り越えて「共生」というとことへ進むべきものと思っています。

 最近になって特定企業が、間接的に2球団にわたる株式保有を行なっているということで協約違反ではないか、という問題が提供されています。 これとても規定をご覧いただいてお分かりのように、分かりづらい規定ぶりになっています。 これについて余り深入りしたくありませんので言及しません。球団の株式上場も問題になっていますが、これなどは協約に明文の規定を欠いていますが、解釈としては、「否定」するのが正しいと思います。 その他否定する実質的な理由はいくつかあります。そのようなことも明確にすべきかどうかも問題です。

野球組織の中央集権化を

 そのようなことで「野球協約」の見直し、検討等が是非必要だと思っていましたところ、今般有識者会議の提言を得てオーナー会議も実行委員会もこれに賛成していただき、ようやくその運びとなりました。 各球団から役員、顧問弁護士などを委員として出していただき、協約改定委員会が出来上がりました。 私の任期は、1年足らずでありますが、この間に改正を成し遂げてスッキリした形で次のコミッショナーにバトンタッチをしたいと思っています。 いま交代しましても状況は変わりません。 しかしこれとても最後まで現オーナー会議等の了承を得ることが必要です。 私が大見得をきってもオーナー会議、実行委員会で否定されればお終いですので、その点が気掛かりです。 「雨霽れて傘忘れる」事態にならぬよう祈るばかりです。

 改正のキーワードは、プロ野球理念の確率や協約の在り方を「協調から競争ルールへ」でき得れば「共生ルールへ」への変革、すなわち規定の明確化です。 そしてコミッショナーの職分を「司法から行政へ、野球組織のCEOへ」、野球組織の「中央集権化」「責任体制の確立」です。 さらに違反の調査・裁定は、「委員会制へ」、一般社会の風を入れるために「諮問委員会議の設置へ」というようなことです。 まず組織をきっちりして改革するべきところがあれば球団等の総意を的確に把握して迅速に決定するということです。

 誤解のないように申しあげますが、中央集権化とかCEOとかいっても、球団、選手のなされることについては、これまでと全く変わりがありません。 どの部分を中央集権化するかの「住み分け」も協約上明確にしなければなりません。

スポーツ・メディアへの注文

 最後にスポーツ・メディアあるいは、スポーツ・マスコミといいますか、スポーツ報道について少し申しあげます。

 私は、スポーツの盛衰は、スポーツ報道に左右されるところが極めて大きいと思います。 したがってスポーツとメディア、マスコミは「相依り、相たすけ」という共存、共栄関係が重視されなければなりません。 野球で申せば、「球場の興奮、感動」を電波を通じてそのまま即時に家庭の居間にもたらす、新聞、雑誌は、タイムラグはありますが、ファンが記事、写真を見て球場でとの同じ興奮、感動を味わう、あるいは、もう一度それを噛み締めるというようなことです。 感動、感情を主体にしております。ところが野球運営に関すること、組織に関することは、「理屈」の問題です。 その辺りを充分に意識して報道、評論願いたいと思います。 ファンの意向ということを「黄門の印籠」のように使った見解もありますが、組織、運営は、最終的には、球団、選手が責任を負うことで、単なる感情で判断するものではありません。 それに取材もしないでそれを基礎に評論する方も見受けられます。 「一犬虚に吠えれば万犬実を伝う」といいますが、そのようなことのないようにお願いしたい、と思っています。 プロ野球は、選手を中心とする人気商売であることも間違いありません。 その辺の考慮から「選手=善」「球団=悪」という見方も、野球組織が合議制であることから否定されるべきことですが、「特定球団の横暴」というような教条主義的議論はやめてもらいたいと思います。

 私もいろいろ、あることないことを基礎に批判されましたが、カフカの「審判」の主人公のような「世の中の不条理」をつくづく味わいました。 議論が錯綜しないように、是非「野球協約」の明確化を図り、よい方向に改正したいと念じております。